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渡邊渚の生い立ち|7歳から遺書を書いていた?ミスコンには並々ならぬ思いも

渡邊渚の生い立ち|7歳の頃から遺書を書いていた?ミスコンには並々ならぬ思いも

フリーアナウンサーとして活動する渡邊渚さん(27)。

今回は、渡邊さんの生い立ちについてご紹介します。

目次

渡邊渚の生い立ち

渡邊渚さんは、1997年4月13日、新潟県阿賀野市に生まれました。

自然豊かな環境で、家の周りは田んぼに囲まれ、庭にはキジが訪れ、時にはクマが現れることもあったそうです。

幼少期

幼い頃は、建築や模型作りに興味があり、シルバニアファミリーを使って街を作ったり、分度器や定規を使って仮想の街を製図したりして遊んでいました。

また、当時新潟でアナウンサーをしていた叔母の影響で、幼い頃からアナウンサーに憧れを抱いていたそうです。

小学生時代

小学校に入学した2004年、新潟県中越地震を経験しました。

『生きていることが当たり前ではない』と悟った経験から、7歳の頃から毎晩寝る前にお祈りをすることと、毎年10月に遺書を書くことを始めたそうです。

また、父親の単身赴任で家族がバラバラに暮らしていたことに不安を抱き、「家族みんなで一緒に生活したい」と願い出た結果、新潟から愛知県名古屋市へ引っ越し。

その後、11歳で神奈川県横浜市に移住しました。

このように、渡邊さんの幼少期は転校の連続でした。

中学生時代

中学校では剣道部に所属し、剣道初段の資格を取得しました。

また、中学3年生の時にマララ・ユスフザイさんのスピーチを聴き、

「メディアには社会に大きな影響を与える力がある」と感じ、アナウンサーという夢を具体的に描くようになったそうです。

高校生時代

高校は、偏差値76の難関校である慶應義塾女子高等学校に進学しました。

体育の授業でバレーボールをした際、友人に誘われてバレーボール部に入部しました。

高校2年生の時には、人気ファッション誌『Seventeen』の「ミスセブンティーン2014」に挑戦し、6,147人という過去最多の応募者の中からファイナリスト22人に選出されました。

残念ながらグランプリを獲得することはできませんでしたが、この経験は後のアナウンサーとしての活動にも大きな影響を与えたと考えられます。

大学生時代

大学は慶應義塾大学経済学部に進学し、大学時代にはミス慶應コンテストに挑戦しました。

ファイナリストに選ばれるも、コンテストは中止に。

『大学に入学してからミスコンのことを考えない日はありませんでした』とコメントしています。

フジテレビ入社

大学卒業後の2020年4月、渡邊さんはフジテレビにアナウンサーとして入社しました。

同年9月からは『めざましテレビ』に出演し、朝の情報番組で活躍し、2023年1月からは新番組『ぽかぽか』の木曜進行アナウンサーも務めました。

しかし、2023年7月に体調不良のため入院し、長期休養に入りました。

2024年10月には自身のInstagramで過去にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていたことを公表。

2024年8月末にフジテレビを退社し、現在はフリーランスとして活動しています。

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